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相次ぐ新規出店で街が活性化
西中洲が目指す「大人の街」とは?

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■老舗店の相次ぐ閉鎖と勢いづく新規店舗の出店

 西中洲地区は街の両端を那珂川が流れる中洲の西に位置し、城下町を真似たとも言われる細い道の脇には木造の古い建物が立ち並ぶ静かな街。
 もともと料亭や高級割烹などがあった約2ヘクタールのこの地区には、現在60~70店の飲食店が軒を連ねている。バブル崩壊後、スナックなどが次々に閉鎖したあとに、シガーやモルトウィスキー専門のバーなどが出店。老朽化したビルの取り壊しなどで少しずつ食事をメーンとした新しい店も入ってきた。そこへ大名や今泉などで20代を過ごした後、収入に余裕のできた30代が新しい自分たちの場所を求めて、少しずつ出入りするようになった。こうした流れの中、客単価も大名や天神地区に比べると高めで、気軽に足を踏み込む雰囲気ではない西中洲は「大人の隠れ家」としての新しい魅力を打ち出していく。
「舌も目も肥えた大人がその店を目指して足を運んでくれる、特別な地区、西中洲」
 そこに集う客層を狙い、出店を希望する飲食店関係者は年々増えていったが、広くはない土地に飲食店と住居がひしめきあう西中洲地区では、店を出す場所を確保するのが難しいとされてきた。しかし、この数年の間に路地に面した敷地にある老舗割烹「小林」「弥生」などが閉鎖。西中洲のメーン通りで50年続いた「吉塚うなぎ」も場所を移転するなど、世代交代に伴い西中洲の街並みに変化が起きた。結果、テナントビルの建設や居抜き店の改装などで、次々と新規店舗の出店が決まった。この1年だけでも十数軒の飲食店が新しく出店している。店の種類は居酒屋、鮨屋、イタリアン、バーと、様々だが、どの店も西中洲を「大人の街」と位置付け、仕入れの素材、酒の品揃え、空間作りに力を入れている。

西中洲通り

■他県からの評判が高まる西中洲

 西中洲には他県からの客も多く足を運ぶ。インターネットの普及で店のホームページや全国紙の特集で店を見つけて東京や九州各県からやって来る人が増えている。店によっては「週末は他県からの客がほとんどを占めることがある」という。西中洲という街でとらえるのではなく、その店が出す料理や空間に興味を持ち、足を運ぶ。グルメと言えば女性を想像しがちだが、出張のついでに立ち寄ったという30代 の男性客が一人で料理を楽しむ姿も西中洲では珍しくない。様々なグルメや、ワイン・日本酒ブームを経て、無理なく自分のスタイルで食事や酒を楽しめるようになった30代が西中洲を支持する。
「福岡は食材が良いものを揃えている店が多いので、食事をするのが楽しみな場所だが、その中でも西中洲は群を抜いている。接客も料理も丁寧で、飲食に対する造詣も深い。店主とゆっくり話しながら、選びぬかれた酒を飲むのが楽しい」(建築関係、男性=38歳) 、「次の店も歩いていける範囲にたくさんあるから利便性がいいのも魅力」(百貨店勤務、男性=32歳) と西中洲を評価し、積極的に楽しんでいる。最近は出張で来た取引先や社員を上司共々、数名で接待することが減っていることも、少人数で楽しむ傾向を後押ししている。

 新潟県燕市で江戸時代から 190年続く鎚起銅器の老舗「玉川堂」七代目・玉川基行さんも西中洲に魅力を感じる一人。仕事で福岡にきた時に西中洲を案内されて以来、この街に足を運ぶようになった。「仕事柄、東京、京都、大阪などの主要都市を始め全国各地を回るが、西中洲特有ののどかなたたずまいに洗練されたお店の数々は全国的に見ても稀有な存在。食、酒の真髄を味わうことができ、顧客の主観的満足に奉仕する姿勢も強く感じられ、今後ますます上質なプライベート空間として発展していくのでは。非常に潜在性の高いエリアだと思う。ほかにないサービスの提供など、さらに顧客の主観的満足を満たすお店づくり、地域づくりをし、地域ブランドを推し進めてほしいと思う」 と西中洲に更なる期待を寄せる。この客層を、今後どういう形で取り込んでいくのか。興味深いテーマを抱えている。

 また西中洲への出店において見逃せないのが、店同士が自然と交流を深めていてとても仲の良いことだ。「客として気になる店が多い」「美味しいので、たまに食べたくなって行く」と笑う。取材でも、多くの店で「あの店には行かれましたか」と紹介を受けた。「良い店でなければ、自分の店に来てくれる大事なお客様には紹介できない。でも胸を張って、紹介できる店が多い」      そうした店舗間のつながりも、これからこの街を支えていく力となりそうだ。

シガーバー「ノルマン」店内 バーで飲む人々

■博多の食文化の中心で次世代の老舗となるか

 西中洲には名店が多いのも特徴の一つである。鮨の河庄、すっぽん料理の前田、フランス料理のこじま亭、水炊きの芝、欧風料理の和田門、おでんの安兵衛、焼きとりの藤よし、バー・ガス灯など、ジャンルはさまざまだがいずれも福岡を代表する名店である。「福岡の食文化の中心」と言われる理由はこの老舗店の多さにある。そして、ここ数年で出来た店も、30代~40代を中心に常連客や、女性客が通う人気店へと成長している。これらの店が西中洲を支える次世代の老舗となっていくのだろうか。

 昨年4月にオープンした「游來」は「ワインアンドビーフ」の店。豊富な種類のワインを揃え、極上黒毛和牛を客の要望を聞きつつオーダーメードで出してくれる。来店客の好みをきちんと覚えているので「通ううちに自分でも思いがけない理想の肉料理ができあがっていく」と、開店以来、客足の絶えない人気店だ。そんな独自のスタイルを持つオーナーシェフの田村岳幸さんは西中洲での出店について「西中洲は飲食店を構えると考えたときに魅力的な街。 古い街並が残り、30~40年前にこの地に店を構えた店々が作り上げた食文化がある。どの店も本当に居心地が良くて美味い。すごいと思う。そうした店と軒を並べられることは励みになる。でも名店が作り上げた街の雰囲気に頼っていてはだめだと思う」と厳しい意見を持つ。その理由として「ここに足を運ぶお客様は独自のスタイルを持っている方が多い。そうした方々に満足してもらうには、奇をてらうのではなく本当にいい素材を出しながら、そこにもっと食を楽しむ深さを加えていかなくてはならないと考えている」と話す。「その上で老舗店のように長くお付き合い出来る店を目指していきたい」。名店の背中を見ながらも、自分の目指すところを見据える。
 また、個人的に日本の街並みが残る西中洲という街が大好きという田村さんは店の外観にも気配り忘れない。白い壁に、落ち着いた色の暖簾。入口には竹笹が揺れる。洗練されていながらも、日本を意識した作りになっている。 「細い路地を着物姿でふらりと歩くのが似合うような街になるようにしていきたい」 と街作りにおいても意欲を見せる。

 西中洲の魅力である川面に映るネオンを眺められるビル2階 にあるバー「BANGER'S BAR」には、幅広い客層がやってくる。年齢層は20代~70代。西中洲では珍しい女性一人での来店も多い。オーナーの北澤雅さんはホテルオークラで経験を積んだのち、ウイスキーの本場スコットランドの蒸留所で働いた経験を持つ。元はスナックだったという店の酒棚にはシングルモルトがずらりと並ぶ。「お客様にはのんびりとしていただいている。景色を眺める時間って、あんまりなかったりしますから」そんなオーナーの気持ちが伝わってか、ゆったりと椅子に腰掛けてシングルモルトを味わう客の姿がみられる。
「西中洲は川面に映る中洲のネオンが特徴だと思う。この景色無くして西中洲の魅力は保てない。逆に言えばこの景色を保つことが西中洲であり続けることだと思う。あまり隠れ家という意識はないが、そうした気持ちで来ていただけるのは嬉しい。いつまでもお客様にとってゆっくりできる場所でありたいですね」出店して5年。最初からほとんど変わっていないと言う店内には花が大きく生けられ、よく磨かれた窓ガラスの向こうには中洲のネオンが別世界のように映る。数年前からここに足を運ぶようになった50代の男性はこの店を「昔から西中洲にあった気がする」と言う。
西中洲では店が街に馴染んで初めて存在を認められていく。年月を重ね風格と身につけていくのは人も店も同じだが、その場所が西中洲であることが飲食店経営者にとっては誇りとなる。

「游來」 中洲のネオン 川面に映る中洲のネオン

■西中洲に出店が続くもう一つの理由

 2004年5月27日、商業地区では全国で初めて特定の業種に絞って制限する協定が西中洲で認可された。「西中洲地区建築協定」である。建築協定とは建築基準法に基づき、住民の総意で用途などを制限できる制度で、この制度を建築物の高さの制限などで用いる地区は多かった。しかし西中洲地区は飲食店が立ち並ぶ「夜の街」でありながら、この建築協定により風俗店、パチンコ店、ゲームセン ターの新規出店や、広告を禁じた。
 「署名活動を始めて3日間で500人の署名がすぐに集まった。しかし、認可がおりるまでの道程は長く、認可されるまで2年近くかかった」。そう話すのは、西中洲の顔とも言える老舗料亭「きくしげ」の亭主・榎田優さん(きくしげクッキングスクール校長=54歳)。1938年に中洲で創業した「きくしげ」は戦後、炭坑王・伊藤伝右衛門の別邸を先代が購入したことで西中洲に移転。榎田さんは生まれてからずっと西中洲を見てきた。
「私が子どもの頃の西中洲は、料亭や割烹が軒を連ねて、多くの芸姑さんが行き来する華やかな雰囲気があった。でも、本当はのんびりとした街。そこで働く人々の住居もここ西中洲で、子どももたくさん住んでいたから、大人たちは子どもの育つ環境を考え生活という面で街を大事にしていた。それが今でも西中洲の街作りを考える上での大事な基盤となっている。街の活性化を促すことは商業地区において大切なことだが、青少年の育成に悪い影響を及ぼすと考えられるものに無関心であってはならない。そうした意味で、西中洲は本当の大人の街。また、商売の面からみても、店を囲む環境は営業を左右する大事な問題。西中洲は街全体が大人の隠れ家だと言われるが、隠れ家とは安心して気持ちを緩められる場所を指していると思う。お客様がおいしい酒を飲んで楽しんだ余韻を味わいながら、心地良く歩ける街であり続けることが、西中洲を発展させていくと考えている」 と語る。西中洲では相続等の問題で二割の土地の同意がえられていない。地区内全ての同意がとれるように今後も話し合いを続ける予定である。しかしながら、既存店だけではなく、新店舗を出したオーナーのほとんどがこの協定を支持している。オーナー達はほとんどが30代。天神の中心地から近く、若者の街として賑わいをみせた親富孝通りが、あっという間に風俗店などの多い街になり、飲食店に客が近寄らなくなっていく様を目の当たりにしている。それでなくとも、「西中洲に足を運ぶお客様は、雰囲気を肌で感じ取っている。丁寧な心配りは店内でのおもてなしだけでは足りない」と、各オーナーたちの「街の雰囲気が客層を作る」という意識は高い。新店舗を出す上で景観を損なわないようにと配慮された外観の店が多いのも、その意識の表れだと言える。 昨年1月にオープンした居酒屋「博多々蔵」も、築70年の老舗割 烹を取り壊さず改築することで西中洲の歴史を受け継いでいる。 他にも、新しく建ったテナントビルがあえて入り口を正面には設けず、壁の面を道路に向けることで、料亭の囲い塀を彷彿させる作りにするなど、景観作りに貢献している。また、建物の作りだけではなく、日々においても、路地にはいつも水打ちがされ、空き缶や紙切れなどのゴミをみかけることも少なく、電柱の張り紙などもほとんどない。

「きくしげ」入り口

■これからもまだまだ変化が続く西中洲の今後

 新しいテナントビルや、カジュアルな雰囲気を持つ店も出来たことにより「今まではあまりみかけなかった20代後半ぐらいの人も、西中洲に足を踏み入れてきて、客層の幅が広がるのでは」という見方がある。その一方で「西中洲の持つ独特の雰囲気を好む人でなければ足を運ばない」「毎日、気軽に来られるほど安くはない店が多いので若い人が増えるということはないだろう」といった意見も根強い。「いたずらに人が多くなって街の静けさが壊されると困る」と懸念する声も上がる。「大人の隠れ家」を自負する街にとっては当然、気になるところと言える。これからの西中洲はどう発展していくのか。中心部にある 「ホテル百萬石」の休業や、老舗料理屋の「八丁へ」の移転、裏路地にひっそりと店を構えていながら人気店であった焼肉屋の「伊東柾」の閉店などが続く中、新規テナントビルの計画も進行中である。西中洲の街作りは、これからが本番となりそうだ。

神林友子 + 天神経済新聞編集部

休業した「ホテル百萬石」 西中洲通り
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