特集

「舞鶴に飲食のテーマパークを作る」
飲食で地域を活性化する小野グループの取り組み

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■最初から店が繁盛したわけではない

 小野さんがD・Dカンパニーを創業したのは1998年3月。当時25歳だった。それまでの6年間は、大阪と福岡の和食料理屋で修行を積んでいたという。1999年には「ダイナーズ オノ」を中央区舞鶴1にオープンし、翌年には同社を設立した。「起業したのは、飲食店を運営することで『おもてなし』を追求したいと考えたから」と小野さん。

 バブル崩壊後の舞鶴は元気が無くなり、大名に出店する飲食店が多かった。それでも、小野さんが「敢えて」舞鶴に出店したのは、「蕎麦切りはたえ」や「フレンチ 花むら」といった30代以上をターゲットにした高級料理店があったからだという。「親富孝通りというと10代~20代を中心とした街だったが、1つ裏路地に入った舞鶴は素晴らしい店が多かった」と小野さんは話す。奈良県出身の小野さんが福岡に店舗を構えた理由について、「街の気質がとても好きだったから」と振り返る。

 初めて構えた自分の店は、最初から上手くいかなかった。「最初の10カ月は赤字だった。取引業者からは『小野さんとこの店は今月いっぱいで閉まるんでしょ』と噂されることも。オープンして4カ月後に苦し紛れにランチなら客が入るだろうとサービスを始めたが、それでも全く客が来ない。私を含めスタッフは2人だが、2人とも外に出てチラシ配りをして営業活動を必死で行なった」(小野さん)。

 苦しい経営状況から希望の光が見え始めたのはオープンしてから8、9カ月たったころ。チラシ配りの成果が現れたほか、親富孝や舞鶴といったエリアは、ビジネスマンが昼食に利用することが多い土地柄も手伝って、ランチに少しずつ客が入るようになった。「ランチに来てくれる中高年の客が、『週末の忙しいときでもオノなら空いているから』という理由で会社の女子社員などを連れて来てくれるようになった。そのほかにも、周囲の有名高級料理店が満席で入れなった客が『オノなら空いている』という理由で来てくれた。こうしているうちに、女性の間で口コミで広がっていったほか、中高年の男性は『オノがんばれ』と博多気質でいろいろな友人を連れて来てくれる様になった」と小野さんは話す。9カ月目の12月、初めて黒字化。「年末は忘年会シーズンだから黒字になれたのだと思ったが、翌月も黒字になりその後右肩上がりに売り上げが伸びた」現在では、年商2億3,400万円企業にまで成長し、売り上げは店舗が増えたということもあるが年々120%~130%伸びているという。

■ 小野グループの個性溢れる飲食店達

 「ダイナーズ オノ」が軌道に乗った後、2001年に「Diner’s BAR (ダイナーズバー)小野」(中央区大名1)、2004年にラーメン店「麺や おの」(中央区舞鶴1)、2005年に豚肉料理「豚家 小野」(舞鶴1)、2006年に創作寿司「小野の離れ」(舞鶴1)、鉄板料理「ねぎ焼き 小野」(舞鶴1)と徐々に出店を加速させる。小野グループは全ての店に個性がある。「店のコンセプトを作る前に、オープンする店での名物料理を先ず決定する」(小野さん)。

 原点である「ダイナーズ オノ」は、名古屋コーチンや大和シャモといった全国各地の地鶏を使用した鶏肉料理が特徴で、「地鶏の炊きギョーザ鍋」などを主力としている。次に出来た「ダイナーズバー小野」は、「料理人が作ったバー」をコンセプトに、朝5時まで料理を楽しむことが出来る。唯一、大名に出店しているのは「大名エリアで、舞鶴にある小野グループの宣伝を担う店としての位置付け」と話している。3年後に親富孝通りに作った「麺や おの」は、自家製麺の「とんこつ」と毎月変わる「季節限定らーめん」が主力。2005年に出店した「豚家 おの」は、「豚カルビ」を主力とする店で、常に予約で満員状態であるほどの人気店だという。そして、今年は、創作寿司が主力の「小野の離れ」と「すじねぎ」が主力の「ねぎ焼き小野」をオープンした。

 「小野の離れ」関連記事(天神経済新聞)「ねぎ焼き 小野」関連記事(天神経済新聞)

 それぞれの店でターゲットが違うのも特徴。「ダイナーズ オノ」は20代後半の女性で、「豚家 小野」は20代~30代の男女、「麺や おの」は20代~30代の男性、「小野の離れ」は30代~40代の男女、「ねぎ焼き 小野」は20代の女性だという。

 店舗ごとに個性があると多店舗展開をすることが難しいのではないかという問いに小野さんは、「統括する料理長がいてメニューの研究は彼に任せている。おいしい料理を作りたいという思いさえあれば開発は出来る。また、店のメインの味をしっかり作ることが出来れば、自然と店の個性が出てくる」と話す。また、「1つの業態を多店舗展開するのはマニュアル化しやすく多店舗展開も簡単だと思う。1つの業態を増やして東京や大阪へ進出するという方法もあると思うが、自分たちの企業規模から考えると、いきなり全国展開を視野に入れようとは思わなかった。地域に密着する店を作りあげることで地元の人から愛される店を作っていくことが大切だと考えた」という。同社は2007年、ジャンルの違う3店舗出店を予定し、飲食店のテーマパーク作りを加速させる。

■ 2010年に宿泊施設「小野の宿」を開設する理由

 「最初から漠然と宿泊施設を作りたいと考えていた」と小野さん。「究極のおもてなしを考えたときにそれは宿泊施設だと考えた。飲食店だとせいぜい2時間の接客だが、宿泊施設だと24時間になる。1日を使ってきめ細かいサービスをすることが究極のおもてなし」。ただ、当初はコンセプトなど明確には考えていなかったという。2004年、重い心臓病で「5年後の生存率は・・・」と病院で宣告されたことが本気で考えるきっかけになった。実はこの時期、右肩上がりだった売り上げが落ちている時期でもあった。「その当時、私は自分の中では本気で『おもてなし』をしているつもりでしたが、どこか手を抜いてしまい利益ばかりに目がいっていたと思う。死を目前にしたとき、あとわずかな時間でどれだけのことが出来るかを真剣に見つめ直した」と小野さんは冷静に振り返る。

 宿泊施設のコンセプトは「宿坊」。「宿坊」とは字のとおり主に仏教寺院などで修行中の僧侶が寝泊りをする建物である。「究極のおもてなしを考えるときに、現代人を癒すことが重要であると考えた。では、小野グループが考える癒しとは何かと追求したところ、寺院に行き着いた」(小野さん)。そして、「第2の我が家」になれるようにきめ細かなサービスをしていきたいとコンセプトを話してくれた。

 では、小野さんが考える「おもてなし」はどういうことなのだろうか。「私が考える『おもてなし』は、小さな感動の積み重ね。例えば、ドリンクがもう少しで無くなりそうなお客様に『ドリンクは足りていますか』と質問するという気遣いが小さな感動に繋がっていく。サービスには相手が何を欲しているのかを考える想像力が必要」と小野さんは話す。そのためには、客を知ることが大切だともいう。同社は、2005年ごろから「顧客リスト」を作成している。小野グループに4回来た顧客を対象に「どういうものを食べたのか」などを記載したリストを作成し、「どのようなサービスが良いか」をスタッフ全員で話し合う。「1人1人顧客によって喜ぶサービスは違う。だから、しっかり1人のお客様と向き合うことが重要」(小野さん)。現在、700名の顧客カルテを作成しているが、「来年までには1,500名まで集めたい」としている。

 また、「舞鶴を飲食店のテーマパーク」にという考えはどうして出てきたのだろうか。「それは、舞鶴で店を育ててもらった感謝の気持ちから。『飲食店のテーマパーク』を作ることで地域活性化の起爆剤になりたい。私は、『テーマパーク』というとディズニーランドを想像する。ディズニーランドは接客が素晴らしく、あのおもてなしを見習って私たちの場合は『飲食のテーマパーク』を作りたいと考えた。そして、20代30代の若者がこの土地で『店を出したい』と思うような場所にしていきたい。私がこの界隈で様々な店舗を出すことで、もっと人通りが多い活気づいた地域にしたい」と目を輝かせる。そして現状を見て「私は、まだまだだなぁと思いますよ」と言いながら、今後の舞鶴の展望を夢見る。

■ 全国に向けてD・Dカンパニーが発信する「癒し」とは?

 小野さんの計画は福岡で舞鶴を活性化することだけではない。「日本全国に向けて食の素晴らしさを伝えたい」という。この考えも重い病気になってから具体化していった。2010年に「小野の宿」を作った後に、「癒し」をテーマに沖縄・石垣島に宿泊施設を作る予定だという。「命の限り、少しでも多くの人に食べることの大切さや素晴らしさを知ってもらいたい」という料理職人ならではの小野さんの熱い思いが原動力となっている。

 「福岡発の企業として頑張ってください」というエールに小野さんは「福岡発というくくりは私たちの企業にとって広すぎる。舞鶴発の企業です」と地域への熱い思いを忘れない。企業として飲食店を多店舗展開するならば1つの業態をいくつも作るほうが効率よく見えるが、「地域で愛されながら成長していく」ということを視野に入れるのならばどうだろうか。客の立場から考えると「また行きたい」と思った店に実はグループ店がいくつもあり、しかも全て業態が違うほうが「味や接客が良かったから、今度は違う業態を試してみようか」という楽しみが増えるように思う。その結果、利益を生み出す企業として成長を遂げていく。だからこそ、小野さんは接客や店の味についてはどの店舗も妥協を許さない。

 最近の舞鶴は、「ちょっと遊びに足を運ぶエリア」ではない。元気がなくなったエリアで飲食店を切り盛りしながら地域が活性化することを夢見るオーナーの取り組みが舞鶴を活性化する第一歩となるだろうか。飲食店が行う街づくりを今後も見守り続けたい。


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