特集

アキバ化する!?天神北エリア
萌えビジネスが根付くワケ

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■ ダイナミックに変貌を遂げる天神北


 天神北の中心には南北に走る親富孝通りがあり、名称の由来は1970年代にまで遡る。当時、北部に地元の予備校があり、そこに通う予備校生=「親不孝者」が多くこの通りを通っていたことから当初は親不孝通りと呼ばれていた。しかし、親不孝通りという名称はイメージが悪く犯罪誘発の一因となっているという声が上がり、「天神よろず町通り」に改名されたが浸透しなかったため、「親不孝」の「不」の字を「富」に置き換えたのが親富孝通りと呼ばれたはじまり。

 当初の親富孝通りは予備校生を対象とした喫茶店やゲームセンターなどが立ち並んでいた。次第に若者の集まる通りとして居酒屋やバー、カラオケボックスなどが集積するようになり、夜の街へと変貌して行く。バブル期には九州最大級のディスコ「マリアクラブ」が開店し、若者の街として全国で知られるようになった。

 しかし、西鉄天神駅の南進やイムズ、ソラリアプラザ、三越が天神の南側に出現し状況は一変。「天神の中心部」は、大名や今泉などのエリアへ南下した。また、バブル崩壊の影響を受け、ディスコや飲食店が相次いで閉店した。親富孝通り発展希成会のメンバーは、「マリアクラブがある時期は、週末3,000名くらいが同エリアに集まり、来街者も10代の若者よりも25歳~30歳くらいが中心だった」と話す。

 親富孝通り発展希成会のメンバーはこれまで親富孝通近辺の42カ所で定点観測をしている。観測結果によると、対象エリアの店舗数は1998年には303店舗だったが、2005年には178店舗に減少した。また、飲食店などの客単価がバブル期の2分の1になり敷居の高い店が激減したという。「以前は、岩田屋も天神北に近い場所に立地していたので、買い物帰りの主婦層も来ていた。今はバブル期のころに比べて若年化しているため、若者が好む低料金で楽しめる居酒屋や、ビジネスマンが昼食に利用するラーメン店などが集中している」と話す。

■天神北がアキバ化!?

 東京・秋葉原は、家電店や同人誌、メードカフェなどが立ち並ぶ日本有数のエリア。大別すると、電気街としての側面と、萌えビジネスが根付いている側面に分かれる。一方、天神北は家電店が1つもないにもかかわらず、同人誌関係の店舗やメードカフェの集積地であり、「萌えビジネス」が福岡で最も盛んなエリアである。

 萌えビジネス誕生の第一歩は、バブル期にまで遡る。若者の繁華街として栄えていた当時からポツポツと同人誌関係の店が出来ては消えていた。そうした中、1996年に女子中高校生をターゲットとした「アニメイト福岡天神」(中央区舞鶴1)がオープン。「その当時は、若者が憧れる遊び場であり、集客力のあるエリアだったので出店した」と店長の中さんは話す。

 その後、相次いで店が開店していく。中でも最も目立つのが2000年3月にオープンした「まんだらけ 福岡本店」(中央区天神5)。バブル崩壊後で天神北エリアは元気がなくなりつつあったが、同社からすると「敢えて狙った場所」だったという。まず、九州・福岡の中心の天神であることや、地下鉄天神駅から徒歩数分という交通の利便性に着目。さらに、「オープン当時の天神北には目立つ特色がなく、独自の展開を広げるには有益な地域であると考えた」(同社広報担当)という。同店は、敷地面積1,483平方メートルで地上5階建て。今では天神北のランドマーク的な存在だ。

 その後、「まんだらけ」を中心とした直径100メートル圏内に男性向けの同人誌「メロンブックス福岡店」(2001年)、「とらのあな福岡店」(2003年)、18禁のソフトを取り扱う「りとる屋福岡店」(2003年)のほか、ゲームセンターやインターネットカフェが次々と進出していった。さらに範囲を直径400メートル圏に広げると、「アニメイト福岡天神」やカードを専門に販売する「Yellow Submarine(イエローサブマリン)」、2005年には女性向けのボーイズ・ラブ系同人誌を扱う「ローズハウス」もオープンし、「オタクが歩きながらいろいろ店をはしご出来るエリア」へと成長していった。

■ メードカフェが増える理由

 福岡初であり九州初のメードカフェ「よかちゃ」が出来たのは2005年8月。福岡のメードカフェの火付け役である江本さんは、元々は大阪でIT関連の仕事をしながら生活していた。出店の理由について「福岡にはなかったことが大きな理由」と話す。江本さんは、最初は大阪でメードカフェを出店しようと考えていたという。しかし、当時の世間は「電車男」などの影響でメードカフェブームの真っただ中。大阪ではメードカフェが2倍に増えたという。「同業種が、立ち並ぶ激戦区に出店するよりも、まだビジネスとして成り立っていない場所に出店するほうが注目され、生き残っていけると考えた」(江本さん)。

 江本さんは、同店を開業するまでに福岡には実は3、4回しか来た事がない。しかし、福岡に対する分析にぬかりはなかった。「最初、博多の筑紫通り近辺が電気街になっていたので出店しようと考えた。しかし、博多は通過点であり回遊性があまりない。人が集まり長時間滞在する場所を考えるなら天神が最適だった。大名への出店も考えたが、様々な業態がある中の1つにしかならない。だが天神北は、サブカルチャーという1つのカテゴリーが出来るほど萌えビジネスが盛んなエリア。だから最適だと考えた」(江本さん)。

 当時のメードカフェブームの影響もあり、「よかちゃ」はマスコミで立て続けに取り上げられた。また、「メードカフェはマスを対象にするのではなく、限られたターゲットを対象にする業態。そのため、最初からコストを抑えることが出来るという特徴がある」という。また、「1度そのエリアで同業態のビジネスモデルが通用したら、次に出店する人は簡単に始めることが出来るので、たちまち広がる」と江本さんが言うように、天神北には次々とメードカフェが誕生した。「天神スタイル」(8月)、「ホームカフェフェアリー」(12月)、メードリフレクソロジー「めいせん」(2006年1月)、コスプレ・メードバー「LA VIE EN ROSE」(2006年3月)執事もいるメードカフェ「「cherish room CLOVER(チェリシュルーム クローバー)」(2006年7月)が次々とオープンし、「まんだらけ 福岡店」を中心とした直径400メートル圏内にひしめき合う。

 どの店もオープン前後の広告活動は「インターネットのみ」だが、それでもオープン日には混雑するという。客層は、20代~30代のビジネスマンが大半だが、「女性の客もたまに来る」(「よかちゃ」松山さん)、「近くでライブを楽しんだ女の子も来る」(「ホームカフェフェアリー」店長)という声も聞かれる。

 メードカフェにほぼ毎日通っているという利用客に聞いてみた。「メードカフェが出来る前からこのエリアを遊び場としていた。だから出来たときはすぐに店に行った」(34歳・無職)、「メードさんと話すだけではなく、常連同士のコミュニケーションの輪が広がって楽しい」(28歳・自営業)、「1人暮らしをしていて寂しい時にメードカフェに来るとメードさんがいろいろと話しかけてくれるので嬉しい」(会社員)という答えが返ってくる。メードカフェは、「まんだらけ」をはじめとした同人誌などが集積するエリアに出店することで、同エリアに遊びに来る「オタク」を中心に確実に固定客を取り込んでいる。

 一方、天神北のサブカルチャーの基盤を作った同人誌にはどのような影響を及ぼしているのだろうか。「客からメードカフェの場所をよく聞かれるが客足が変わったとは思わない」(メロンブックス店長)という意見もあるが、「『まんだらけのついでにメードカフェ』『メードカフェのついでにまんだらけ』といったお客様の声を聞く。商品も特に成年系商品の動きの幅が上昇し、メード服の売買が目立って行なわれるようになった」(まんだらけ広報)という話もある。

■萌えビジネスの先に見る天神北の今後

 天神北は、ニュービジネスを受け入れるエリアでもある。親富孝通に長年住むFUKUOKAストリートホークス会長の白木さんは、「天神北は、新業態が『天神』に挑戦する最初の場として活用される場所。メードカフェは、面白い業態の1つ」と寛容だ。確かに天神北は、地下鉄「天神駅」や「バス停」からも近く交通の便が良いほか、土地代もバブル期に比べたら3分1に値下がりしているため手に入りやすい。福岡・天神でニュービジネスを展開したいと考える人にとっては、大名などのエリアに出店するよも低予算で展開することが出来る。

 しかし、一方で「女性客が少ない。街がにぎわうには女性客が必要」(親富孝通り発展希成会のメンバー)との意見もあるように、天神北は、夜は若者を中心とした街で、昼は昼食を食べに来るサラリーマンの街へと二極化している。天神北は今後、どのようなパワーを取り入れて、個性的なエリアへと進化を遂げていくのだろうか。大型商業施設が持つパワーも大きいが、街全体に一定ジャンルの店舗が集積し、それが新陳代謝を繰り返し始め、時間をかけてタフになった街には、計り知れないパワーが宿る。福岡の個性派ゾーンとしての天神北の動向から目が離せない。

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