特集

天神の「人・ひと・ヒト」 Vol.7
天神で手相を見続け37年 「天神の母」野田エツコさん

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■皆が付けてくれた「天神の母」

「おばちゃーん!」
「今日は何があったねー?手相はまだ変わっとらんよー」
「新しい人が出来たとよ」
「そうね。なら相性ば見ようかねー」


9時、天神の中心に位置する福岡ビル前――。仕事帰りの足音も落ち着く時間。気になる人との相性に目を輝かせる若い2人の女性と目尻のしわが優しいおばちゃんの笑い声が響く。そのすぐ横には、ビルの壁に沿って行列が続く。2人が「じゃーねー」と後にすると、期待と不安が入り混じった顔の男性が一歩前へ。虫眼鏡を握るおばちゃんに手を広げて見せる。


次から次に手相を見ては笑顔で助言し、最後に「頑張ってね」と笑顔で見送る。ホッとした様子で後にする客の姿は、この場所の定番の光景だ。


普通の事務員だったという野田さんはご主人との結婚を機に易学を本格的に学び始め、35歳の1973(昭和48)年4月、福岡ビル前で易占の鑑定を開業した。毎週木曜・日曜以外、18時~23時ごろまで座り、1日約40~70人の手相を見るという。「雨でも雪でも、夏でも冬でも出店。台風で休んだのは1度だけ」とパワフルな72歳だ。


今では「天神の母」として全国的にも知られる存在だが、こう呼ばれ始めたのは同所に開業して約5年たったころ。ある日、来店した女性に「ニックネームご存知です?」と声をかけられる。いつも娘が「天神のおばちゃん」の所に行くとか、「頑張ってのおばちゃん」の所に行くと言って出かけるのだという。そこで「初めて知った」と野田さん。その後、地元の新聞に「頑張ってのおばちゃん」と紹介され、人気に火を付けた。


後に「おばちゃんは無いだろう」とマスコミを中心に「天神の母」という愛称が広がり、定着する。「皆が付けてくれたんですよ。『母』に頼って来てくれるのはうれしい。名前を大事にしないとね」。


37年見続けた天神

「市内を走る路面電車が無くなって、道路拡張工事。地下街ができて、天神コアができてビブレができた。天神もお化粧をしてきれいになって、大好きになった」。天神の一角に座り、歩く人の手を取り、街の成長を見てきた。深夜には心無い人による嫌がらせも。「そんな時はすぐ110番。お客さんも助けてくれます」。福岡ビルのガラスが割れる被害をもたらした福岡県西方沖地震の後は仕方なく休業した期間も。「あの時は並んでくれているお客さんに危険がないか、ちょっと恐かったですね」と振り返る。


長引く不況の中、3月には「福岡パルコ」も開業する。各百貨店は客の取り込みに奮闘する一方で、街には相変らず新店舗もちらほら。天神の母が占う「今年の天神」は?――「天神駅を中心に東北(中洲方面)、西南(警固方面)が厳しいがパルコが出来る北西の方角は良好。まだ不景気の風が吹きつつも上向きになるでしょう」。「今年のラッキーカラーは黄色やベージュ」。


「天神の母」の噂を聞きつけ、他県からの来店も多い。北海道から九州各県、さらに韓国からの旅行者にも人気だ。「いろんな人に会えるから天神が好きです」。


4月で開業37年。豊かな人生経験から、占いのはずがふと気付くと熱い人生相談になっていることもしばしば。


「説教聞きに来たんじゃないとよ(笑)」
「あらー、なんて言ったらいいかな」。


来店客の指摘も笑い声に変わる。まだまだ寒い天神の夜。とあるビルの一角だけは街の「お母さん」のおかげでほんの少し、暖かい。



取材・文/編集部 秋吉真由美



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